霊体玉尼様のお言葉  【霊能者】

私の霊体・玉尼様に導かれて

ペガサス会連絡先
筍娃牽掘檻牽隠押檻娃牽隠
大祓詞の解釈と信仰  12
 「此く加加呑みてば、気吹戸に坐す気吹戸主と言う神、根の国、底の国に
  気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根国、底国に坐す速佐須良比売
  という神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言う罪   は在らじと 祓え給ひ清め給う事を 天つ神 国つ神 八百万の神等共   に 聞食せと白す」
 (かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしというかみ ねのくに   そこのくにに いぶきはなちてむ  かくいぶきはなちてば ねのくに   そこのくににますはやさすらいひめというかみ もちさすらいうしない   てむ かくさすらひうしなひてば つみというつみはあらじと はらえ   たまひきよめたまうことを あまつかみ くにつかみ やおよろずのか   みたちともに きこしめせとまをす)

           解釈 
このようにして罪穢を呑みこんで下さると、息を吹き出す所に居られる気吹戸主(いぶきどぬし)という神さまが、その罪穢をさらに地下のあの世に吹き去つてくださるでしょうということです。
息は何故大事か。息が人を生かすことはもとより、息に人の意識が加わると、それが言葉となってでてくるからです。即ち言葉の元には息があるのです。
神の御心は言葉によって伝えられる。ほんとうの言葉により人は生かされていくのです。
一言にして、人を生かしも殺しも出来る事を思えば、言葉は大切にしなければなりません。神心に照らして恥じない言葉を言えるようになるのが、大きなつとめといえましょう。

根国、底国とはあの世のことです。そこにおられる速佐須良比売(はやさすらひめ)という神は、罪穢を洗い流し捨て去つて下さる神です。サスラヒの解釈の一つとして、サスル(摩擦する)という意味があります。サスラヒヒメとは総ての悪いものを摩擦し、その穢を落として、正しくする御徳に対して名づけたものといえます。即ち根国、底国にあつて、罪穢がやつて来ると、それを再び美しい元の姿に磨き清めて下さるというのです。祓とは正しい姿にかえすことを目的としているからです。
以上のような心がまえをもって祓清めるとき、必ず神々御照覧のもとに、あらゆる罪穢は祓い去ることが出来るのです。このように致しますから、どうぞ天津神、国津かみ、八百万の神様お聞きとり下さいとお誓いをする。
なにとぞお導きをいただきたいと願うことによって、祓の信仰はいよいよ深められていくのです。
  
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大祓詞の解釈と信仰  11
 「遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より
  佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬尾律比売と云う神 大海原
  に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の
  潮の八百会に坐す速開都比売という神 持ち加加呑みてむ」
 (のこるつみはあらじと はらへたまひきよめたまうことを たかやま
  のすえ ひきやまのすえより さくなだりにおちたぎつ はやかわの
  せにますせおりつひめというかみ おおうなばらにもちいでなむ か
  くもちいでいなば あらしおのしおのやほぢのやしほじのしおのやお    あいにます はやあきつひめというかみ もちかがのみてむ)

            解釈
ほんとうのものをみつめて行くときには、やがて闇が晴れてほんとうの姿が見えてきます。しっかりと問題を解決した時に、問題は残らなくなってゆきます
。神さまの教へ、お言葉通り実行し、ほんとうの修行をするならば、神さまは漏れなく祓い給ひ清め給うてくださる(助けてくださる、力を与えてくださる)というのです。祓い清めて下さる神々は、祓戸四柱の神さまです。四柱の神様が持ち分けて、罪を祓い清めて下さる段になります。
高い山、低い山から佐久那太理、即ち谷間を急速に下って、落ちてくる速川の浅瀬にいらっしゃる瀬尾律比売(せおりつひめ)と云う神が、すべてのもののけがれをおとして流して、大海原に持って行って下さる。         祓はけがれをなくし、本来の正しい姿にかえることで、これを念頭に於いて考える時、人間は落ちたぎつ早瀬に於いて、もまれ磨かれて、初めて清い光が出てくる。これが瀬尾律比売のお働きであります。瀬で流すということは、浅瀬で石が磨かれるように、すべてのものを磨き清める意味です。そこにいらっしゃる神の御徳というのは、すべてのものを磨きすまして、きれいにしようと思っている。人間の心のことを「玉」といいます。心を磨くことを玉磨きと言います。人生はお互いに磨き合うことによって、初めて練磨されて来るわけです。
このようにして大海原に流し去られた罪穢は、荒潮があちらからも、こちらからも押し寄せ、ぶつかり合い、うずを巻いている(禍が巻いている)ところに居られる速開都比売(はやあきつひめ)という神様が、全部呑み込んでくれるでしょう。速開都比売の「速」は速い、「開都」というのは、大きな口を開けてということです。総べての罪穢をがぶがぶとお呑み下さるということです。
いけない事柄を呑み込んで、他に出さぬよぅにするのが「かかのみ祓」だといわれています。
人は口から口に言いふらすが、これではいつまでたっても世の中には嫌な事が絶えない。いけないと思ったら、呑み込んでしまって次に伝えないようにする。この大きな口、腹、即ち大度量を持って、すべてのものを消化してしまうことが、信仰として大切だと言えましょう。それがやがては自分を生かすことになるのです。
人間は大度量を以って、人のあやまちをとがめず、それを呑み込む如き人間になることが、また祓になるのです。
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大祓詞の解釈と信仰  10
 「此く聞こし食してば 罪と云う罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲
  を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕べの御霧を 朝風 夕風の吹き掃
  ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海
  原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて打ち掃    う事の如く」
 (かくきこしめしてば つみというつみはあらじと しなどのかぜのあ
  めのやえぐもをふきはなつことのごとく あしたのみぎり ゆうべの    みぎりを あさかぜ ゆうかぜのふきはらうことのごとく おほつべ    にをるおおふねを へときはなち ともときはなちて おおうなばら    におしはなつことのごとく おちかたのしげきがもとを やきがまの
  とがまもちてうちはらうことのごとく) 
                        
               解釈 
あなたが祖神の御心、お言葉どぅりにおやりになれば、あなたがその気持になれば、万難を排しても耳をかたむけて聞いて下さるということです。そぅいうよぅに、神がお聞きになって下さる、即ち、罪、穢はこの人生から清められていくのです。そしてその罪穢が祓われていく姿が語られています。
「科戸」は息長処(しなど)とも書いて、風のことです。死(シヌ)は息去(しい)ぬで、息がなくなることです。信仰上では、科戸の風が息を長く吹く事により、八重雲をフーッと吹き掃うということです。息が長いということは、長生きすることです。息を長くつくには神の御心の息吹を、本当に自分の体内に鎮めておかなければなりません。これが魂鎮の大切なところです。鎮魂の作法は身体を整え、最後には息を整えることを極意とします。先ず腹式呼吸によって、息を整えることが大切で、健康であるという事は、その人の内に神の心、力が充満し、躍動しているためです。完全な息をすることによって、人生の八重雲、即ちあらゆる悩み、問題を吹き掃い清め得るというふうに、信仰上では考えてゆくべきでしょう。そして朝のあやまちは朝に、夕のあやまちは夕に、直ちに改めることの必要が語られています。また罪穢の祓われるさまは、ちょうど風によって、八重雲や霧のはらわれるのと同じだともいいます。
大津とは、大きな港のことです。船というものは、港に置いといて、舳綱(へづな)、艫綱(ともづな)をもって縛りつけておいたのでは、船の役目をなさない。その綱を解き放ち、押し出してこそ初めて船として役目をはたし、大海原で自由に航海することが出来るのです。信仰として自分に当てはめてみます
と、港につなぐ綱を放つとは人生でいえば、執着を断つこと。いろいろなことに捉われていると、すべてうまくゆかない。だから自由闊達な姿にならない。
彼方の繁木(おちかたのしげき)とは、樹木が繁っていると、前方がみえないから、焼きを入れた鋭い鎌で、断固として打ち切れば向こうがみえてくるということです。いろいろな難問題は、すべて自分に捉われているから、自分のことだけしか考えていないから、本当のことがみえないのです。自分というものを離れないと、神の教が見えない、理解できない、それが「繁木の本を断ち切る」ということです。焼きの入った鋭い鎌、即ちするどい知識、叡智を持って
正しい神心(教え)に叶った、知と行との一致した行動、修行を実行して行くことにより、段々清められていくのです。
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大祓詞の解釈と信仰  9
   「此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を
    伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ 国つ神は高山の末 
    短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き        別けて聞こし食さむ」
   
  (かくのらば あまつかみはあめのいわとをおしひらきて あめの
   やえぐもを いづのちわきにちわきてきこしめさむ くにつかみ
   はたかやますえ ひきやまのすえにのぼりまして たかやまのい
   ぼり ひきやまのいぼりをかきわけてきこしめさむ)

        
             解釈
このようにして、大幣(神磁力を受けるための、和紙と麻で出来た幣)で祓い清められ、神の御心に問うて見るために、天津祝詞の太祝詞事を申すならば、初めて結果が出てきます。言行一致で、祖神の御心通り、またお言葉通りを実行するのでなければ、聴き届けてはくれません。信仰の根本は神のお言葉通りを実行するより外にないことを悟るべきです。
その様にして、祖神の御心、お言葉通りに実行すれば、天津御祖の神様は必ず天の磐門を押し開き、国津神さまは高山、低山の伊褒理を強い力でかき別けて聞いて下さるのです。
伊褒理(いぼり)とは、煙やもやの立ちこめている状態のことです。人間の心の悩みのことです。閉ざしている心を押し開き、くよくよと苦しんでいる心、自分では大きな悩みで解決出来ないとあきらめている人達も、神の御心に照らしあわせてみると、どんな事でも原因があり、その要因は自分の心の捉え方であり、自分なのだと気づく事ができます。
自分の言行が本当にいけないということがわかったならば、今日からは必ず神様のお心どおりにやりますと、お誓い申し実行するならば、必ず神様は聞き届けて下さることを言ったものです。神様というものは、必ず私達の願を聞いて下さるということを信じて疑わないのが信仰なのです。
| 大祓詞(おおはらいのりとう)の解釈 | 02:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
大祓詞の解釈と信仰  8
    「此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 
     末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして 天つ菅
     麻を本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて
     天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」
    (かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎを
     もとうちきり すえうちたちて ちくらのおきくらに
     おきたらわして あまつすがそをもとかりたち すえ 
     かりきりて やはりにとりさきて あまつのりとうの
     ふとのりとうをのれ)

             解釈
「天つ宮事(あまつみやごと)」とは祖神の御教えのことです。その御教えにより如何にしてその罪を祓ったらよいかと教えています。
「天つ金木(あまつかなぎ)」とは小さい木の枝、(シモト、コウゾの木)といわれています。この木の皮は、紙になり幣(神前に供える布帛)をつくる材料となります。その木の枝を、本を打ち切り末を打ち断ちて、即ち木の真ん中を取つて、これを沢山置くことの出来る案(机)の上に、山の如くに積んでお供えします。
「天つ菅麻を本刈り断ち末刈り切りて」とは、きれいな麻の本と末とを刈り切
つて、その真ん中の良いところを取って、「八針(やはり)」とは八つ裂きに裂くことです。
古典のなかのスサノオノミコトが、高天原で犯された天津罪に対して大変悪かったと悔悟させるため、祓物をださせたとあります。祓物とは悪かったら、悪かったと、その罪のつぐないものを出すことが大切で、これを祓物を出すというのです。この祓物の真ん中を執って千座の置座に置き足わして祓いをするというのは、信仰上では真ん中のよいところを沢山出すという事で、誠心を重ねて、悪かった事のお詫びを申し上げることになります。
お供えをした真ん中の一番良いところの材料からつくった紙と、真ん中の良いところの麻で、大幣をつくり罪を祓っていただくのです。
そして祝詞すなわち大祓詞の教である「清く、正しく、睦まじく、」のお言葉のとうりに実行することが、ほんとうの祓いです。
大幣から神磁力を頂き元気な肉体になりますと、自分の心の許容範囲が広くなり、他の人、物、事を許してやさしくなる恕の心ができます。そうすると悩みは無くなります。また仕事にも意欲が出て、アイデイアまでも思いつきやひらめきで教えてくれるでしょう。
| 大祓詞(おおはらいのりとう)の解釈 | 01:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
大祓詞の解釈と信仰  7
    「国中に成り出でむ天益人等が、過ち犯しけむ種種の罪事は、
     天津罪、国津罪、許許太久の罪出でむ。」
    (くぬちになりいでむあめのますひとらが、あやまちおかし
     けむくさぐさのつみごとは、あまつつみ、くにつつみ、こ
     こだくのつみのつみいでむ)
     
            解釈

祖神さまの御理想に従って、御教えの通り「平らけく安らけく」平和に治まったこの国に生まれてくる国民、益(ます)とはいよいよ盛んに生まれてくると言うことですので、人間の発展を祝福した言葉です。その生成発展を約束されている人々が、悲しくも「種種の罪事」を犯すのです。
過ちとは、あやめるという言葉があるように、つまり、現状を混乱し、破壊することです。また犯すとは、一定の場所から侵出し、はみ出して行く、即ちあるべき姿を逸脱する姿をいうのです。ですから秩序を乱し、定めの場からはみ出して行くことが、「過ち犯す」という事になります。神の心を基準としていえば、神の心を逸脱し、神の心を乱すよぅな行為をすることが「過ち犯す」という事になります。やりたい事をやらせない。清く正しく在り度いものを在らせない。これも過ちの一つであります。
罪を大きく分けると天津罪、国津罪との二つがあります。天津罪というは、 *人間の生きていくうえに大切な五穀の生産を阻害する罪(畔放[あぜはなち] 溝埋[みぞうめ]樋放[ひはなち])。                  *食料を横領する罪(頻蒔[しきまき]串刺[くしさし])。
*神聖を犯す罪(糞戸[くそへこ])。
*人畜を殺害するが如き罪(生剥[いきはぎ]逆剥[さかはぎ])。を指します。
天津罪とは、今の言葉でいいますと、耕作妨害罪、稲田横領罪、神聖な所を汚す罪、或は殺人罪だということになります。信仰上からみますと、人間の命も生命の根である食物も、元を正せば何れも祖神から賜わったものです。これを勝手に殺し、奪い、汚すことは出来ない。生死の根本は祖神から与えられたものですから、これを犯す罪を天津罪と呼びます。
国津罪とは、生膚断、死膚断、白人、胡久美、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪、昆虫の災、高神の災、畜仆し、蠱物為る罪、があります。
この罪は、地上人間界の、不倫の姿、血を見る様な姿、混乱の姿、人間としてしてはならない事をする等の罪です。
これらは何れも「過ち犯しけん罪」とありますが、確然と犯したものは自分で自覚しているのですから、当然その罪のつぐないをなすべきです。これに対して、犯したかも知れない自覚の無い罪、例えば、自分ではそういうつもりでしたと思わぬのに、人には非常な損害を与える。また自分はそんな意味で言ったのでないのに、人に不快を与える。といったような罪も、信仰上では重大な罪であります。誠意をつくしたと思っていても知らず知らずの罪があるのです。そうした知らない罪を判らすには、神の心、教えに自分の心を合わせてみる。これが人間の反省心であります。
| 大祓詞(おおはらいのりとう)の解釈 | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
大祓詞の解釈と信仰   6
  
   「此く依さし奉りし四方の国中と 大倭日高見国を安国と定め奉り     て、下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命    の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠坐して 安国と平    けく知ろし食さむ」
   (かくよさしまつりしよものくになかと おおやまとひたかみのくに
    をやすくにとさだめまつりて したついわねにみやばしらふとしき
    たて たかまのはらにちぎたかしりて すめみまのみことのみづの
    みやらかつかえまつりて あめのみかげ ひのみかげとかくりまし    てやすくにとたいらけくしろしめさむ) 

               解釈

神様より、平らけく安らけく治めよと、御委任をうけられた四方の国中として、先ず「大倭日高見の国」をえらばれたのであります。大和(おおやまと)神社、大神(おおみわ)神社がある大和の国の発祥の地です。
そこを日本の国中としても、最も日が高く見える、いわゆる日の本の国として、そこを安らけき国とお定めになり、下つ磐根に宮柱を太しく立て、高天原に千木高しる宮を立派にお建てになったということです。
「宮柱太しき立て」は、大地にしっかりと根を下ろすということになり、「高天原に千木高知りて」とは、天にもとどくという事で、双方合わせて天地に達 するということは、天津神、国津神の御心を一貫して受けとめられることになります。「皇御孫命」即ち天皇の御住居あそばすお宮を建てそこに、「天の御蔭、日の御蔭と隠り坐して」ということは、天照大神のお蔭を受けてその御加護のもとに居られるということです。

私たちは知る、知らず、感じる、感じないに関わらずすべての人々が、天の神、地の神のお蔭を受け、その御加護の中に抱かれて生きているのです。
今日から神前、仏壇に、目覚めたときの「おはようございます」寝るまえの「おやすみなさい」の感謝の御挨拶からはじめましよう。
| 大祓詞(おおはらいのりとう)の解釈 | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
大祓詞の解釈と信仰   5
       
『語問ひし磐根、樹根、立草の片葉をも語止めて、天の磐座放 ち,
天の八重雲 を、伊頭の千別きに千別きて、天降し依さし奉りき。』
      
 (こととひしいわね、きね、たちくさのかきはをもことやめて、あめのい  わくらはなち、あめのやえぐもを、いづのちわきにちわきて、あまくだ  しよさしまつりき。)

                 解釈

人間には神心をもって問うてみよということでしたが、自然界の祓はどうしたら出来るのか、天孫降臨にあたって磐、樹、草等までも祓い清めたということは、国土開発にあたるとき、磐、樹、草にいたるまで、伐り開き開拓するときに心を砕いたということです。
神様の御心とは、その物の持っている生命、使命を生かし伸ばせば、自然物でもその役目を果たす事が出来るということです。磐は磐としての役目を果たし得るようにしてやり、木や草は日のあたるところに、正しい姿に置いてやれば、正しい姿に立ち返える事ができます。
即ち自然物をも語止(ことやめ)しめるということは、自然界でもその持てる姿をそのまま正しくのばしてやることにあるのです。人間だけが正しくなったらいいのでない。世の中にありとあらゆるものは、全部神がお生みになったものであり、お造りになったものです。そうであるならば、神様の御恵みに従い、その本然の性によって、これを正しく伸ばしてやるのでなければなりません。神はすべてのものを正しく伸ばすということが、一番大切だということを教えているのです。そういうふうに人間界も自然界も、すべてのものが鎮まつた平静に帰した国土に天孫の降臨したことを言ったものです。
神様はふるくは磐座といつて、一つの神座にお祭りしたものですから、天孫も神命を受けてこの世に照臨されるについては、天の磐座を離れ、天の八重雲を(「伊頭」いづとは強いという事)強い力を以つて、雲を分け分けて、静まつたところにお降りになりましたということです。
広く信仰的に解釈すれば、天地万物が静まつた時、初めて本当の物がそこに出現してくるのだということです
天孫降臨ということは、神の御心を皇室のご先祖がいただいて、この国を清め正しくされるために、この国土にお臨みになられている事をいつたものです。
神様の御心を継承される皇室の御祖先は、高天原の祖神の御心を受けついで、私共の前に臨まれているのだという信仰が、その前提にあって、初めて成立するのです。
| 大祓詞(おおはらいのりとう)の解釈 | 17:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
大祓詞(おおはらえのことば)の解釈と信仰 4
  『此く依さし奉りし国中に、荒振神等をば神問はしに問はし賜ひ、神掃   ひに掃ひ賜ひて』
  (かくよさしまつりしくぬちに、あらぶるかみたちおば、かむとはし    にとはしたまい、かむはらいにはらいたまいて)

              解釈

「依さし奉る」
(よさしまつる)とは祖神によって委任されたということです。
「荒振神等」
(あらぶるかみたち)とは古事記等で天孫降臨に先立ってアマテラスオオミカミとタカムスイノカミとがタケミカズチ、フツヌシの二神を遣わして出雲の荒ぶる神たちに何回も又数人に問い、その結果出ていってもらい国を譲ってもらったことです。現在でもすべての人が不平不満なしでやっているのではない。やはり荒ぶる神があります。乱暴する。喧嘩をする。強盗をする。いろいろ悪い事をする人が、まだまだ多い。そういう者がいれば、ほんとうの美しい、平らけき、安らけき社会にならない。そういう人達を和やかにしてゆかなければならない。
「神問はしに問はす」というのは神心をもって問うてみよということなのです。
どうして不平、不満をもっているのか、聞いてやれということです。そうして話あってみれば解決の糸口が見えてくるのです。一人でくよくよ考え、悩んでも解決しないのです。又問うて、聞いてあげるのも一回でなく何度も何度も問い、聞かなければ解決していかないのです。
「神掃ひに掃ひ賜ひて」の掃ひとは祓えのことですが、掃ひで説明しますと掃除で、掃き出しただけではきれいになったとは言えません、それと同じで悪い者を外へ追い出すだけでは祓えになりません。悪い、いけないことということが分かるならば、それを元の正しい姿に直してあげることが本当の祓いです。
神の御心、神の鏡に照して問うてみよということです。
清く、正しく、睦まじく、が親神の教えなのですから、自分は清いか、正しいか、睦ましい心を持っているのかということを常に念頭において、心の中で反省する。それが「神問はしに問はし」ということになるのです。
| 大祓詞(おおはらいのりとう)の解釈 | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
大祓詞の解釈と信仰  3
    
『八百万神等を神集へに集え賜ひ 神議りに議り賜ひて我が皇御孫命は豊葦原水 穂国を安国と平けく知ろし食せと事依さし奉りき 』
(やほよろずのかみたちを かむつどへにつどえたまひ かむはかりにはかりた まいて あがすめみまのみことは とよあしはらみずほのくにを やすくにとたいらけくしろしめせと ことよさしまつりき)


          解釈

祖神天照大神はその神の御心である天の御柱を、この国土に立てる御代理として、天皇を国の御柱として立てられたのです。祖神があって、神々の世界の中心が固められているよぅに、この世は祖神の心を心とされた天皇によって中心が定められ、初めてそれによって傾かない輪(和)の世界が、建設されるのが自然であり、神ながらなのです。神の世の姿を、人の世の姿にうつしだすためには、神の世のあり方を以って、理想とするのでなければ、実現できないためだともいえます。祖神さまが、天皇をその代理と定められたことについては、簡単に定められたのではなく、総て八百万神達の集会、衆議にはかられたのちに、決定を見たことなのです。天皇として仰がれ、立てられたことは、祖神の御定めはもとより 、万人の承諾を得た上に、自然に立てられたものであることを意味します。我が国の歴史に於いて、皇室がわが国の統治者として平和に仰がれて来たことは、悠遠の昔からのことであり、平和裡に喜んで従わしめることを理想とされてきたことによってもしられています。
天皇は祖神がこの国の治め方について、「安国」即ち安心して生きていける国を作れと仰せられ、また「平らけく」即ち平和の国たらしめるよぅにとの御命令に従っています。右にも左にも傾かないのが、平らかな状態であり、不安のないことが安らけき状態であります。
祖神が天皇に「知ろしめせ」と仰せられました。この言葉は即ち天皇の理想とされるところは、政治を自らせられることではありません。その政治を「知ろしめす」ことを祖神から命ぜられているのです。
「知る」という言葉から、天下の政治を総覧されることが大切だということになります。「知ろしめす」「見そなわす」「聞こしめす」と申しているのは、天皇は何でも、知り、見、聞かれる御態度を御とりになられ、天下の政治をすることは、昔から国民自体がすることで、その政治の在り方、理想を御示しになるのが天皇の御つとめであります。
政治を執る者は、その時勢を見て、天皇の御理想に照らし、平和に治まるよぅに政治すべきなのであります。     
       

   
    
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